本州のほぼ中央に位置し日本三大都市圏の中枢都市として機能する名古屋市。徳川家康によって礎を築かれ、今や人口230万人を数える大都市へと成長しています。
東京と大阪の中間に位置しながら独自の文化を育み、大都市でありながら住みやすい街としても評判。
今回は名古屋市の歴史と魅力を紹介いたします。
それでは名古屋探訪に出発しましょう。
江戸時代以前の名古屋について
現在の名古屋市は約400年前の1610年にはじまります。それまでは清須会議で知られる清須市が尾張地方の中心都市として機能していました。
また名古屋の地には景行天皇43年(113年)創建とされ、三種の神器の一つ「草薙御劔」を納めた熱田神宮が鎮座。鎌倉幕府を築いた源頼朝が生まれた場所も熱田神宮近くにあると伝えられています。
名古屋は町がでいる以前より神話や伝説、そして歴史に彩られた場所として存在。その魅力は今でも観光スポットとして各地に点在しています。
徳川家康により名古屋が形成される:名古屋城築城&清須越し
名古屋市の歴史を知る上で重要なのが名古屋城。関ヶ原の戦いに勝利し江戸に幕府を開いた徳川家康が西国の外様大名を監視するために築いたのが名古屋城です。
慶長15年(1610年)に築城し、御三家筆頭の尾張徳川家を設置。これに伴い町も大々的に形成されていきました。
名古屋城築城とともに町の形成に重要な役割を果たしたのが清須越し。
それまでの中心都市であった清須から名古屋へ丸ごとの引越しを敢行! 臣下や町人はもとより数百を数える神社仏閣や清洲城の小天守も引越しています。
この清須越しは1612年頃~1617年頃にかけて実施。多くの人々の労力が作り上げたのが名古屋です。
独自の文化を育くみ名古屋の基盤を確立した江戸中期!
8代将軍徳川吉宗が世を治め質素倹約が叫ばれていた江戸時代中期。名古屋を中心とした尾張藩では徳川宗春が藩主の座に就き、様々な規制緩和と消費奨励策を実施し空前の好景気をもたらしていました。
名古屋に好景気をもたらした様々な政策は現代の景気刺激策とも重なるもの。徳川宗春は江戸よりも先見の明を持った人物として広く語り継がれています。
赤味噌を使った独特な食文化や堅実と言われる商工業が発達したのもこの時代。
身内でありながらも幕府の政策に異を唱えて独自策を奨励・実施した徳川宗春が名古屋を築いたと言っても過言ではありません。
戦争からの復興!名古屋が誇る道路網が出来上がる
日本一が多い名古屋にあって最も象徴的なものの一つが道路事情です。
中でも幅100mを誇る若宮大通や久屋大通は、100m道路の愛称で親しまれる名古屋名物。アメリカ軍の空襲で焼け野原になった戦後復興の目玉として整備されたものです。
名古屋市は大都市の中でも渋滞が少ない街として知られており便利ですが、その分スピードも上がりがち。
名古屋走りも存在しますので、運転には十分気をつけて下さいね。
平成の名古屋市:工業都市から文化都市へ
自動車産業をはじめとした工業のイメージが強い名古屋市。何もない白い街と揶揄されていた過去もありますが、今ではそのイメージからも脱却しています。
2008年にユネスコのデザイン都市に認定されてからは、随所にセンスを垣間見れる街づくりを実施。観光客の満足度も高い都市へと変貌を遂げています。
名古屋めしを中心とした独特な食文化も人気となり、街の魅力度アップに貢献。
再開発進む名古屋駅周辺を中心に活気ある街並みを形成しています。
まとめ
食文化をはじめ独自の文化的価値が魅力的な名古屋市。高層ビル群の建設ラッシュも進み、観光スポットも豊富です。
約400年という名古屋の歴史の中で東京や大阪に左右されることなく、日本の大都市の中で独特な進化を遂げたのも特徴的。
今や観光都市と言っても良いほどに成長しています。
歴史を垣間見て名古屋を知るのもいいですね。